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1: 名無しさんがお送りします 2021/11/05(金) 13:57:02.88 ID:CAP_USER9.net
11/4(木) 11:30
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ユースケ・サンタマリア「ずっと改名したかった」 28年経っても違和感〈週刊朝日〉
ユースケ・サンタマリア [撮影/写真部・高橋奈緒、ヘアメイク/池田真希、スタイリング/藤本大輔(tas)]
 ドラマや映画、舞台、バラエティーと幅広く活躍するユースケ・サンタマリアさん。芸名の誕生秘話や役者を主軸に活動する理由などを明かす。

「元ミュージシャンですよね?」と言われることがある。1990年代の前半、大分から上京したユースケさんは、最初、ラテンロックバンドBINGO BONGOのボーカルとして、芸能活動をスタートさせた。「サンタマリア」という芸名はそのときの名残だ。

「ひょんなことからバンドを組むことになって、でも当時の僕はラテンの楽曲なんて興味もなければ、歌ったこともなかった。事務所の人から、『本名が地味すぎるから、カタカナの芸名にしようと思う。“ティト”“ゴンザレス”“サンタマリア”なら、どれがいい?』って聞かれたので、『その3択ならサンタマリアですかね』って答えたら、そのまま28年ぐらい経っちゃって(苦笑)。いまだにこの名前には違和感あります」

 90年代といえば、音楽業界やテレビドラマはメガヒットが量産されていた時期だ。ユースケさんは、バンドのボーカル時代に、今のK-POPブームを先取りしたような深夜の音楽番組「アジアNビート」の司会を2年間務めた。

「マネジャーから、『音楽番組の司会が決まりましたよ!』と言われて、制作会社に連れていかれたので、てっきりスタッフさんとの顔合わせだと思って、『よろしくお願いします!』『頑張ります!』とやる気を見せたら、それがオーディションだった。その怖いもの知らずの感じが受けたのか、司会に抜擢されたんです。当時は、怒られた記憶しかないですね。ラテンバンドのボーカルということで、わけもわからず陽気なキャラクターを演じていました」

 音楽の世界に足を踏み入れてはみたものの、音楽一本でやっていける自信はなかった。すると今度は、日テレの深夜ドラマで主演が決まった。

「すごく実験的な枠だったんですが、なんとなく、芝居もやれるんじゃないかという根拠のない自信はあった。自分のイメージには届かなかったけれど、周りのスタッフさんが、『本当に初めて?』『これがオンエアされたら各局のドラマから引っ張りだこになるよ』とおだてられて。そのときは無知の強みで、満更でもなかったんです。でも、そこから1年ぐらいはオファーがなかった。そうしたら、当時のマネジャーが突然、『フジテレビのドラマが決まったぞ』と」

 それが、後に映画化もされて社会現象を巻き起こした「踊る大捜査線」の真下正義役だった。

「ただ、これには後日談があるんです。マネジャーが『決まった』と言ったとき、実際に決まっていたのは僕がオーディションに参加することだけだった。僕は、普通に顔合わせのノリで、『お願いします!』『頑張ります!』ってやる気満々で挨拶した。後になってプロデューサーの亀山(千広)さんは、『こんなにやる気を見せているやつを落としたら、可哀想だと思ったから同情枠で採用した。(芝居が)ダメだったら、途中で殉職させればいいんだから』と話していましたね」

 そのオーディションのとき、フジテレビ側のスタッフから、「ところで、本当にこの名前でいいの?」と質問された。
>>2

3: 名無しさんがお送りします 2021/11/05(金) 13:58:22.47 ID:g4EXJkFq0.net
>>1
ユースケ・サンタマリアと大泉洋の区別がつかない

115: 名無しさんがお送りします 2021/11/05(金) 14:26:57.18 ID:z267+xK20.net
>>3
誰かが大泉洋を演技が出来るユースケ・サンタマリアって言ったんだけど誰だったかな?

296: 名無しさんがお送りします 2021/11/05(金) 15:42:39.02 ID:6z8Kng8q0.net
>>115
ユースケの演技のほうが好きだわ

179: 名無しさんがお送りします 2021/11/05(金) 14:47:29.07 ID:3jo+samR0.net
>>3

いや区別はつくけど似てるよな

引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1636088222/